1350年前の古代のロマンに触れる「国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館」

府中市は、古代武蔵国の国府の所在地として知られています。国府の中枢施設があった国衙跡は大國魂神社境内とその東側にあり、その一部は、国史跡武蔵国府跡に指定されています。今回は、そのなかにある武蔵府中熊野神社古墳と展示館をご紹介します。上円下方墳と呼ばれる石造りの古墳に葬られているのは、誰なのでしょうか?古代のロマンに夢が広がります。

幸運が重なり、偶然にも残されていた古墳

武蔵府中熊野神社古墳は、もともとは木が生い茂る小山として残されていました。この小山が古墳だと思う人もなく、子どもたちの遊び場となっていました。戦時中は、簡易的な防空壕として利用され、小山には横穴も開けられていたそうです。
小山を崩して、駐車場にしようという話もありましたが、地元では、一部で、小山は古墳ではないかという説を唱える人もいました。
そこで、2003年から本格的な発掘調査が行われ、上円下方墳であると確認され、2007年7月14日に国の史跡に指定されました。

1350年前に築造された、全国的にも希少な形式の古墳

国史跡武蔵府中熊野神社古墳は、3段に築成された古墳で、四角い墳丘の上に丸い墳丘が重なった形となっており、上円下方墳と呼ばれています。
1段目は約32メートルの方形、2段目も約24メートルの方形で、3段目が直径約16メートルの円形となっています。高さは復元高で約6メートルもあります。
墳丘の表面は、2段目・3段目の全面に石が葺かれ、1段目の外周には切石が並べられていました。墳丘の中心部には、3室から成る複室構造の切石積横穴式石室がありました。なお、石室の切石には、表面を滑らかにする細かな仕上加工が施されていたということです。
この形式は古墳時代の終わりごろに造られるようになったもので、飛鳥時代の7世紀中ごろ、今から1350年ほど前に築造されたものと見られています。
国史跡武蔵府中熊野神社古墳は、全国的に見ても希少な形の古墳です。石が葺かれている上円下方墳としては、国内で最大規模であり、最古のものではないかと考えられています。
なお、横穴式石室は、保存のため埋め戻されており、内部を見ることはできません。

[主な出土品]
・鞘尻金具
・環金具
・刀子
・釘
・ガラス玉 ほか
なかでも、七曜文の銀象嵌が施された鞘尻金具は特に注目されます。

古墳に葬られているのは、誰なのでしょうか?

武蔵府中熊野神社古墳の被葬者は不明ですが、上円下方墳であることや全面が石で葺かれていること。さらに切石切り組みの三室構造の横穴式石室であることなどの特徴から、武蔵国を代表する有力者の墓であると推定されています。地元では「多摩大王」とも呼ばれています。
また、中国で進歩した高度な盛り土の技術が採用されていたことから、有力な渡来人だったのではないかという説もあります。

展示館も併設

古墳の南側には、国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館が併設されています。
展示館の1階ホールでは、大型ディスプレイで古墳の解説が放映されています。また、階段の壁面には、府中市の歴史が年表や写真で紹介されています。

展示館の2階には、古墳断面のはぎ取り土層が壁一面に展示されています。
さらに、古墳内部に造られた、石造りの埋葬施設「石室」の復元展示室もあります。手前から前室、後室、玄室と3室にわかれていて、前室、後室は方形ですが、奥の玄室は円形に近い形をしています。
玄室からは多数の釘、ガラス製の玉、大刀の鞘に付けられた鞘尻金具などが見つかっており、この部屋に古墳の主が埋葬されていたことが分かります。

発掘された出土品も展示されています

こうした展示に触れ、幽玄な古墳の前に立つと府中の歴史の深遠さが感じられます。
ぜひ、この「武蔵府中熊野神社古墳」を訪れて古代のロマンに想いをはせてみてください。

[国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館]

所 在 地 〒183-0031 府中市西府町2丁目9番地(熊野神社境内)
営業時間 4月1日から10月31日 午前9時から午後5時
11月1日から3月31日 午前10時から午後4時
休 日 月曜日(祝日・振替休日に当たる場合は直後の平日)
年末年始(12月29日~1月3日)
電話番号 042-368-0320
U R L https://www.city.fuchu.tokyo.jp/shisetu/komyunite/gekijo/kumanokofun_tenjikan.html
交通案内 ・電車をご利用の場合
JR南武線「西府駅」下車徒歩8分
・バスをご利用の場合
京王バス 府中駅発「国17 谷保駅経由国立駅行き」で「西府町2丁目」下車徒歩4分


[参照URL]
イマタマ特派員 / 府中市 / 朝日新聞

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