府中市郷土かるたに登場する人物5選

かるた1

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府中市には府中市郷土かるたという府中市にまつわるかるたがあります。この記事では、そんなかるたに登場する人物を5人ご紹介していきます。

井田是政

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『地名にのこる井田是政』という読み札で府中市郷土かるたに登場している井田是政。府中市の是政という地名はこの井田是政が由来と言われています。

この井田是政は、戦国時代に北条氏に支えていた武士であり豊臣秀吉の小田原攻めにより主家が滅びてしまった後、荒れ果てた是政の地を開墾して領主となった人物です。

井田氏は武蔵国の府中に在しており、ルーツを辿っていくと源頼朝が弟である源義経を追討した陸奥討伐に従軍し、代々摂津守を自称していた名家の家柄でした。

戦国時代には、関東の中でも有力な土豪(特定の土地の小豪族)として現在の府中周辺をまとめあげており、やがて関東の中で一大勢力となった北条氏に仕えることになります。

北条氏に仕えた井田是政は、北条軍の軍勢の一員として豊臣秀吉の軍勢と戦うことになりますが敗北してしまい北条氏はこの時に滅亡しました。

仕えるところの無くなった是政は、府中を逃れ武士を辞め農家として生きていくことを決意し、当時相当荒地だった横山村を1から開墾します。

農地として開墾に成功した村は栄えていき、是政はその功績を称えられ次第にその土地は『是政』と呼ばれるようになりました。一説によると子供の是勝が逆境に負けず頑張った父の名を残そうと名付けたとも言われています。

関良雪

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『良雪えがく水墨画』という読み札で府中市郷土かるたに登場している関良雪。お墓が府中市本町の妙光院にあり、妙光寺へ向かう山道の途中には府中市郷土かるたの読み札である『良雪えがく水墨画』と彫られた表札が立っています。

関良雪は、六所宮神官の鹿島田和泉守藤原正常の子です。江戸時代中期に活躍した画家で、関良雪の自画像軸という作品は府中市指定の文化財として保護されています。

親と同じく元々は神官だった関良雪ですが、30余才で神官を辞職し江戸に出て画家になったという経歴を持っています。

関孝和

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『和算の学者関孝和』という読み札で府中市郷土かるたに登場している関孝和。関孝和は、日本の数学者であり、和算という日本独自に発達した数学の研究者でした。

関孝和と府中市の関係ですが、養父だった関吉直のお墓が府中市の高安寺に存在しているというところにあります。他にも関孝和の弟子たちが和算の問題を絵馬にした算額という物を府中市にある大国魂神社に奉納したという記録があります。

関孝和で有名なのが円周率の計算です。正13万1072角形を使い、円周率を小数点以下11桁まで求めていました。また、連立方程式の解を求める公式を作る過程で関孝和が発見した行列式はヨーロッパに先駆けての大発見です。他にも様々な数学的発見、発明は当時数学の進んでいたヨーロッパと比べても遜色のない高度なものでした。

後世には算聖と称され、数学と言えば関流とまで言われるようになります。

高林吉利

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『さいしょの代官高林吉利』という読み札で府中市郷土かるたに登場している高林吉利。高林吉利は徳川家康に仕え、豊臣秀吉の小田原攻めの後に徳川家直轄の領地となった武蔵国府中領の最初の代官に任命された武将です。

武蔵国押立村と常久村の大半を知行地として与えられ、本人が亡くなった後も息子の吉次から利春、利之と四代に渡って高林家が管理しています。

府中市にある高安寺にお墓があり、たびたびの戦乱により衰退していた高安寺は江戸時代に高林家の庇護を受け徐々に復興していくことになります。

高林吉利の墓は府中市の指定文化財になっており、高安寺に訪れれば実際に見ることも可能です。

川崎平右衛門定孝

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『ききん救った平右衛門』という読み札で府中市郷土かるたに登場している川崎平右衛門定孝。平右衛門は、300年ほど前に武蔵國押立村で生まれました。

府中周辺の多摩川大洪水のあとの治水工事や大國魂神社の修理に貢献したり、多摩地域の発展の基礎となる武蔵野新田の安定化、新田村々の救済や復興を進めるのに尽力しています。

読み札にもあるききんを救ったというのは、徳川家八代将軍の吉宗が行った享保の改革により開発された武蔵野新田が凶作で危機に陥った際、大岡越前守の命を受けて農民を救済したというところからきているようです。

飢餓で苦しむ農民のために平右衛門はどんな作物であればたくさん生産できるのかを見つけるためいろんな作物を育てさせます。その結果、ソバや栗、ハトムギなどが良いということがわかり武蔵野新田の人々はそれら作物を育て飢餓から救われました。

また、平右衛門は公共事業という形で農民たちと井戸掘りなどを行い幕府からお金を引き出し、お給料として穀を配ります。そのお給料はお守りをされる子供にまで配られているところから、平右衛門の人柄が想像できるでしょう。

まとめ

府中市郷土かるたは、地元の人に愛され親しまれています。府中市の文化、歴史を知るのにも良いので一度手に取って遊んでみてはいかがでしょうか。

参考URL
FIX_郷土かるたパンフレット_04_おもて(中~低画質) (city.fuchu.tokyo.jp)

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和算の開祖 関孝和| 江戸の科学者列伝 | WEB連載 | 大人の科学.net (otonanokagaku.net)

関孝和は和算の・・・: お気楽さんの日常 (seesaa.net)

府中の高安寺城 高安寺 藤原秀郷 分倍河原の戦い – 戦国武将列伝Ω 武将辞典 (senjp.com)

府中市指定文化財 市旧跡 高林吉利 の墓 – Monumento(モニュメント)

府中で生まれた江戸時代の代官 川崎平右衛門~ききん救った平右衛門~ 東京都府中市ホームページ (city.fuchu.tokyo.jp)
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