府中の伝統祭りを体験!大國魂神社の年間行事をご紹介

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大國魂神社は、年間を通してさまざまな行事が開催されています。

この記事では、そんな大國魂神社の年間行事について解説していきます。

節分祭

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大國魂神社の節分祭は毎年2月3日に行われ、春を迎える「一陽来復」を祝う重要な神事です。

この祭りでは、立春の前日を特に重視し四季の節目を表す節分の行事が行われます。

中心的な儀式である豆まきは、古代の大祓の神事に由来し罪や穢れを祓う役割を持ちます。

もともとは桃の実を用いた悪魔退治の風習が、日本で大豆に変わり栄養価の高い「畑の肉」として広まりました。

「鬼は外、福は内」と唱えながら豆を撒く風習は、江戸時代に定着し現在も多くの人が参加しています。

節分祭は地域の新春を迎える大切な儀式であり、伝統を感じる貴重な機会です。

くらやみ祭

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大國魂神社の例大祭「くらやみ祭」は、毎年4月30日の品川海上禊祓式から始まり5月6日の神輿還御までの7日間にわたる祭りです。

名前の由来は、神輿渡御が深夜に行われたことにあります。

メインイベントは5月5日で、午後6時に花火が打ち上がり国内最大級の大太鼓が鳴り響く中、8基の神輿が神社本殿から御旅所へ渡御します。

5月3日には府中囃子の競演や競馬式、5月4日には子供神輿連合渡御や万灯大会が開催され地域の伝統文化を体験することが可能です。

宮乃咩神社例祭

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宮乃咩神社例祭(青袖・杉舞祭)は、毎年7月12日と13日に行われる伝統的な祭りです。

この祭りは源頼朝の命により、天下泰平を祈願するために始まりました。

祭りのメインイベントは、12日の夜から始まる「青袖祭」です。

舞人たちが青袖の舞衣を身にまとい、神楽舞を奉納します。

続いて、13日の朝には「杉舞祭」として杉の小枝を用いた舞が行われます。

現在は神職の参加が少なくなっていますが、過去の記録が残されており地域の信仰が息づいていると言えるでしょう。

また、12日には安産祈祷が行われ多くの人々が訪れることでも知られています。

この例祭は、地域の伝統と信仰を伝える大切な行事です。

すもも祭

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すもも祭は、毎年7月20日に開催される地域の夏の風物詩で近郷の人々に親しまれています。

祭りの起源は、源頼義・義家父子が奥州安倍氏を平定するために派遣され勝利を祈願したことに遡ります。

彼らは戦勝後、大國魂神社に感謝を捧げ供え物として李子(すもも)を持参したことから祭り名が付けられました。

当日は、境内で五穀豊穣や悪疫防除を祈願し「からす団扇」と「からす扇子」が頒布されます。

この扇を使うことで害虫を追い払ったり、病気の回復を願ったりする信仰があります。

参拝者は、午前6時から午後9時までこれらの扇子を受け取ることが可能です。

すもも祭には、約70,000人が訪れ境内は終日賑わいます。

参道には約120軒の露店が並び、特に李子を売る店が人気です。

祭りの一環として、無形文化財に指定されている江戸の里神楽が奉納され地域の伝統と信仰が色濃く反映されます。

この祭りは、地域の文化を次世代に伝える大切な行事となっています。

八朔相撲祭

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八朔相撲祭は、毎年8月1日に行われる子供たちが主役の伝統的な祭りです。

「八朔」は八月朔日を指し、この日は昔から吉日とされ豊作を祈願する祭礼が行われてきました。

祭りでは、元気な子供たちが相撲を取り稲の初穂を神に供え、農作物の自然災害防止を祈ります。

この祭りは、天正18年(1590)の徳川家康の江戸城入城を記念して始まりました。

地域の体育奨励のために水引幕が献納され、明治以降も伝統行事として続いています。

現在は、小学生を中心にした町内対抗のリーグ戦で行われ地元出身の力士も応援に駆けつけ、地域の絆を深める重要なイベントとなっています。

秋季祭くり祭

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秋季祭くり祭は、毎年9月27日と28日に行われる伝統的な祭りです。

起源は1737年の武蔵総社六所宮太々神楽の創立にあり、一時中断を経て現在まで続いています。

「くり祭」と呼ばれるのは、武蔵野の地が栗の栽培に適していることから徳川家にも栗が献納されたことに由来しています。

祭りでは、約260本の行灯が境内に灯され夕暮れ時の幽玄な雰囲気を楽しむことが可能です。

行灯はかつて子供たちの奉納画で飾られていましたが、現在は芸術文化協会の会員による作品が使われています。

秋季祭当日には、神楽が奉納され神への感謝と祈りが捧げられます。

軍艦多摩戦没者慰霊祭

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軍艦多摩戦没者慰霊祭は、毎年10月25日に行われる重要な行事です。

軍艦多摩は大正10年に竣工し、その名は多摩川に由来します。

艦内には大國魂大神が祭祀されていました。

昭和17年から18年にかけて数々の戦闘で活躍しましたが、昭和19年10月25日のフィリピン沖海戦で沈没し、艦長以下440名が未帰還となりました。

平成26年多摩の沈没から70年を迎え、大國魂神社の青年崇敬会が中心となり軍艦多摩顕彰会を結成し、慰霊碑が建立されることとなります。

以来、この慰霊祭では戦没者への追悼が行われ地域の人々が集まり、犠牲者を偲ぶ重要な機会となっています。

大鷲神社例祭

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大鷲神社例祭、通称酉の市は毎年11月の酉の日に開催される重要な祭りです。

この祭りは、初酉を一の酉、次を二の酉、そして三の酉と呼び特に「三の酉がある年は火事が多い」といった俗信も存在します。

もともと大鷲神社は武運長久の神として武士たちに信仰されていましたが、次第に庶民の間でも開運の神として人気を集めるようになりました。

江戸時代からは商人や水商売の人々に特に好まれ、農具や農作物も販売されることで豊作祈願を込めた農民たちも参拝に訪れます。

酉の市は地域の人々にとって重要な行事で、商売繁盛や開運を願う多くの参拝者が集まります。

参考URL
大國魂神社 例大祭 くらやみ祭 (武蔵国 国府祭) | 府中観光協会 (kankou-fuchu.com)

お祭り・行事|大國魂神社 (ookunitamajinja.or.jp)
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